平成15年10月4日


『十朋亭』を「市」へ寄附するについての挨拶

萬代 一平

 一言ご挨拶を申し上げます。
 この『十朋亭』は、昭和57年に山口市から「史跡」の指定を受けましたのに伴い、私の父・亀四郎が『十朋亭』の前の物置を改造し、当家で保管しております萬代家縁の掛け軸や、品々を説明資料として展示し、一般の見学者に見て頂くことにしました。そうして、見学に訪れられる方々とお話することを、晩年の楽しみにしておりました。
 父が亡くなりましてからは、父の跡を継ぐべき私が山口ではなく、東京に住んでおり、その上に、山口に一人で住んでおります母は高齢のため、残念ながら、一般公開は取りやめてしまいました。折角、「市」の指定を受けながら、一般公開が出来ないのを心苦しく思っておりましたところへ、平成8年から始まりました「アートふる山口」への参加のお誘いを受けました。この催しは年に1度で、日数も僅か2日間ですが、この催しに参加することで、多くの皆さんに見て頂け、日頃の不義理の償いになればと考へまして、毎年参加してまいりました。
 この「アートふる山口」に参加しましたのがご縁で、「菜香亭・十朋亭をチョッと素敵に甦らせる会」が誕生し、本日までいろいろの支援を頂いております。
 母が高齢とは言え、十朋亭の隣に在住しておりましたので、維持、補修には私達も協力しまして、それなりの手立てを尽くしてまいりました。
 ところが、その母も今年の6月に亡くなり、今後、山口に在住する当家の関係者は全く居なくなってしまいます。
 そもそも、当家は徳川時代の中期の末頃から山口に根を下ろし、代代、醤油の製造の商いを生業として、長い間にわたります山口の皆様のご支援のお陰で、それなりの暮らしをして参りました。
 昔から、栄枯盛衰は世の習いともしますが、当家もその例に漏れず、終戦後の経済的な大変動の煽りをうけましたのが一つの契機になりまして、当家の家業を継ぐはずの私が、大学卒業を期に山口を離れ、他所で生活してしまいました。その為に、私の子供や孫達は、諸々の点で山口にかかわりますご縁は、薄くなってしまいました。残念ながら、これが萬代家の山口における現実の姿でありまして、内内に、市の教育委員会の文化財保護課の方々や、「残す会」の皆さんに「市」への寄附について下相談をして参りました。
唯、今回、寄附の対象に考えております建物や書等は、当家の代代の当主にとりましては一つ一つに深い思い出と、密かな誇りを感じながら、大切に私達子孫に伝えてくれたものばかりで、その点も是非考慮の中に入れて頂きたいとも、それとなく、お願い致しました。
 その後、教育委員会の文化財保護課や、アートふる山口実行委員会の方々、菜香亭・十朋亭をチョッと素敵に甦らせる会や、山口まちづくりセンターの皆さんが、「十朋亭」の今後の保存活動について熱心にご検討頂き、本日、市に提出される予定の「保存活用の提言」が出来あがりました。
 この「提言」を拝見しますと、観光都市としての山口の今後の発展のため、明治維新関係の観光施設として、「十朋亭」と資料を最大限に活用しようとの意図が力強く提示されておりますし、さらには、当家の歴史の事までご配慮頂いております。
 この「提案書」を基本に今後の運営が具体化されるとしますと、当家の現状から、「十朋亭」を後々迄伝えるには、最善の方法であると私には判断されます。従いまして、私の父・亀四郎を初め、大切に私達子孫に伝えてくれました先祖も、成るようになったと安堵し、納得してくれるものと信じまして、萬代家を代表しまして、「市」に正式の寄附の申し入れを致します。
 付きましては、末永く「十朋亭」のご活用を宜しくお願い致します。
 以上で、私のご挨拶をおわります。


十朋亭大路ロビー